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Emmy(蛭田えみ)のプロフィール

4月23日年生まれ、太陽牡牛座、月山羊座、アセンダント獅子座。

北は北海道から、南は沖縄まで、鑑定人数8000人の旅する占星家。

多くの人に、占星術の素晴らしさを伝えたいと思い、無料で学べるメルマガや動画を配信中。

占星術講座では、終了後の無料サポートが人気。

好きな言葉
・翔ぶ勇気
・Make it Happen
・Reality can destroy the dream; why shouldn’t the dream destroy reality?
 現実が夢を壊すことがある。それなら夢が現実を壊すことがあってもいいじゃないか

 

目次

Emmyのプロフィール

星空を眺めるのが好きな子供だった。

小学生になり、ギリシャ神話の神々の物語に出逢い、思春期に入って、占星術と出逢う。

自分の人生が、不幸のどん底だと思っていた高校生の頃、初めて占星術師に鑑定してもらい、こう言われる。

「あなたの人生最悪ですね。」

その言葉に納得できず、独学で占星術を学ぶ道を選ぶ。

高校卒業後は、看護学校へ進学。看護師になり、すぐに結婚・出産するが、1年半後には、2人の息子を抱えるシングルマザーになる。

20年間看護師として、総合病院に勤務の後、2006年にカラーセラピーで、起業。2008年、退職、電撃結婚、引っ越し、サロンの本業化と大きく人生が変わる。

占星術は、2010年から正式にメニューとして取り入れ、2012年からは、全国各地で鑑定、2016年の春分には、占星術専門サロンとしてリニューアル。

全国47都道府県のお客さまを鑑定。

趣味は、ワードで絵を描くこと。

サイトのイラストは、セキセイインコのひなちゃんを溺愛するあまり、生まれたキャラクター。

 

占星家になったわけ

私が、占星家になったわけ①~大人になったら、月に行きたい!

「どうして、占星家になったんですか?」 この質問、本当によく聞かれます。

普段は、そんなこと考えたりしないけど、改めて聞かれることが多いから、ちょっと、振り返ってみました。

幼稚園の頃ころ読んだ、1冊の本。

その本には、月に向かう列車の絵と、「あなたの、子供の、子供の、子供の、子供・・・が、おばあさんになる頃に、月につきます。」みたいな文章が書いてありました。

だから、私は、こんな絵を描くのが好きなのかもしれません。

子供の頃は、大人になったら月に行けるんだて思ってました。

夜空を見上げて、月を見ては、そこに行く日のことを、考えていました。

子供の頃は、病弱な弟がいて、「お姉ちゃん」の役割を求められていました。

だから、自分の気持ちを表現することなんてなかったから、月に語りかけるのが好きな、そんな子供でした。

とっても、引っ込み案で、人見知りで、おとなしくて・・・ 本が友達みたいな感じでした。

自分でも、想像できません(笑) 今考えると、これが、占星術との出会いだったのかもしれません。

いわゆる星占いに出会うのは、もう少し後でした。

 

私が、占星家になったわけ②~星座って、とっても不思議

小学生になって、10歳くらいの頃、天体観測の宿題が出たことがありました。

星座版をもらって、それを持って、暗くなった道路に出るのが、本当に楽しみでした。

宿題が終わってからも、空を見上げるのが、習慣になっていました。

私が子供の頃は、今よりも、外灯が少なくて、もっと星がキレイに見えてた気がします。

視力の問題かもしれないけど(笑)

星を見てると、何だか吸い込まれそうで、神秘的だなって思ってました。

子供の頃、空想とかするのが大好きだったから、夜空を見上げながら、いろんなことを、考えて楽しんでいました。

そして、知らず知らずのうちに、星座や天体の神話の世界に、引き込まれていくことになったのです。

 

私が、占星家になったわけ③~雑誌・マイバースディ

星を見ることが大好きになっていた、子供の頃。

思春期に、この雑誌に出会います。

マイバースディ。

創刊号は、私のお誕生日の頃で、確か、牡牛座特集だったので、とっても印象的だったのを覚えてます。

2012年に発売された、大人のマイバースディ、もちろん買っちゃいましたよ。

マイバースデイは、いろんな心理テストやおまじないなんかも載ってたと思います。

そこで星占いに出会うことになるのです。

太陽星座以外に、月星座や金星星座があること、ホロスコープの作り方など、毎月熱心に読んでいました。

そして、どんどん、星占いの世界に入っていきました。

この時は、それが、占星術っていうものだって、よく知らなかったかもしれません。

同じように、星占いが好きな友達と一緒に、発売日には、雑誌を買った後、近くのハンバーガーショップによってました。

もし、星が人の運命を知っているなら、どうして、こんな状況に生まれてきたのかを、知りたいと、本気で思ってました。

星占いはを、人生を知るための、手掛かりのように感じていたのです。

ちょうどそのころ、久保田早紀の異邦人が大ヒットしていました。

次々に出される曲が、まるで、ホロスコープの星のことをうたっているように感じました。

私の占星術の世界は、久保田早紀の歌に、大きく影響されたのかもしれません。

そして、高校生になる頃には、占星術という言葉に出会いました。

 

私が、占星家になったわけ④~あなたの人生最悪ですね!

高校生になって、本格的に占星術に興味を持った私は、いつか鑑定してもらいたいと思うようになりました。

当時、人生のどん底だったので、どこかに救いを求めたい気持ちが、強かったのかもしれません。

でも、広島では、鑑定をしてくれる占星術師さんを、見つけることができませんでした。

どうやって見つけたのか、忘れてしまったけど、岩国の米軍基地の近くで、鑑定している方を見つけました。

早速、電話で予約をした私は、とっても楽しみに、地図を片手にその場所へ向かいました。

そして、衝撃的な一言を告げられたのです。

「あなたの人生最悪ですね。」

自分でも、最悪だと思っていた時期だったので、もう立ち直れないほど、落ち込みました。

占星術が、唯一救ってくれるものではないかと思って、期待していたからです。

今にして思えば、18歳の子供に、そんなことを言うなんて、あり得ません。

でも、その時は、「やっぱり・・・」という、絶望感でいっぱいでした。

そして、もう占星術のことを、考えるのはやめようと、心に決めました。

 

私が、占星家になったわけ⑤~それでもやっぱり占星術が好き!

占星術のことは、もう考えるのをやめよう!

そう決めたはずなのに、心はどうしても占星術の方に向いていきます。

今のように、学べる本がたくさんある時代ではありませんでした。

それでも、手に入るものを駆使して、少しずつ学び始めました。

ある日、昔よく通っていた本屋さんで、洋書の中古販売が行われていました。

その中の1冊に心惹かれました。

表紙にとっても美しいホロスコープが描かれていたからです。

中古で安かったのもあって、買って帰りましたが、当時の私は、どちらかというと、英語は苦手でした。

それでも、読みたいという気持ちは強く、彼の形見の辞書を片手に、ゆっくりと読み進んでいきました。

そのうち、進路を決める時期が来て、看護学校に入って、バタバタと忙しい毎日が過ぎていきました。

あまりの忙しさに、占星術のことを少し忘れかけている自分がいました。

その時は、手放すというより、忙しすぎて手に取る暇がなく、次第に占星術から遠のいて行ったのです。

この後、就職・結婚・出産・離婚の中で、本格的に占星術を学ぶということは、無くなっていました。

下の子が、1学期で高校を辞めるといい出した時、オーラソーマとの出会いとともに、再び占星術とも出会うことになったのです。

 

なぜ、42歳で起業を、決意できたのですか?

なぜ、42歳で起業を、決意できたのですか?①

実は、私の中では、重大決心をして、なんていう、感覚は、ありませんでした。

看護学校を卒業してから、ずっと同じ病院で、働いてきた私には、辞めるという選択を、考えたことがありませんでした。

でも、漠然と、何だか、このままでいいのかな・・・と、思い始めた時期が、ありました。

その頃、下の息子が、高校に入ってすぐに、辞めると言い始めました。

それを聞いて、「せっかく、進学校と、言われるところに入ったのに、違うと思ったら、やめるという決断するなんて、羨ましい。」と思ってしまったんです。

普通なら、あり得ませんよね。高校を、辞めるという息子を、母親が、羨ましがるなんて(笑)

でも、その時の、感覚は、鮮明に覚えています。

その後、彼の今後のために、いろいろと調べている時に、オーラソーマに出会い、同時に再び占星術に出会ったのです。

 

なぜ、42歳で起業を、決意できたのですか? ②~自分の人生を、歩くために、決断したい

オーラソーマに出会った私は、自分の人生の中で、初めてであった、宝物を見るように、ボトルを見ていました。

最初は、ナースとしてのライセンス以外に、何か資格が欲しいと思って、受講しました。

けれど、オーラソーマは、今まで学んできた、資格をとる講座とは、違っていました。

初日が、満足できるもので、あったかというと、違いました。

しかし、何だかわからない、感覚がありました。

初日に、選んだ、74番ボトルを、こんな、つたない色の言葉で、表現しました。

「自分の、仕事のステージを、広げるために、知識がほしいと思って来たけれど、本当の、自分の人生を、歩くために、決断したいと、思っている。」

初日に感じた、この思いこそが、数年後、占星術師として、実現していくことになる、私の新しい道でした。

当時は、この美しい世界を、ひとり占めにしたいと、思っていました。

なので、友達が遊びに来ると、ボトルは、片付けていたし、大切な宝物を、誰にも、見せたくないという、気持ちでした。

コンサルテーションをするとか、ましてや、仕事にするなんていう発想は、微塵もなかったのです。

そんな私が、あるきっかけで、看護師をやめることを考え始めたのです。

 

なぜ、42歳で、起業を、決心できたのですか?③~決断をサポートするために現われる悪役

起業したいと思った頃、私は、看護師として働いていました。

子供のころから、憧れて・・・というわけではありませんでした。

今にしてみれば、「手に職をつけて、安定した場所で働く。」という、母親の価値観に、沿った、生き方をしていたのです。

常識的に考えたら、とても、恵まれた、職場環境の中で、苦しいという思いが、強くなっていったのです。

その時の、上司の一言が、退職を決意させました。

「組織は、正しいかどうかなんて求めていない。職位が上の人の立場を、守るところだ。」

この言葉と一緒に、頭によみがえったのは、子供が退学した時に感じた、羨ましいという気持ちでした。

何か違うと、感じ続けていた、違和感、違うと思ったら、やめていいんだという思いが、素直に流れてきました。

それは、母親の価値観から、本当の意味で、抜け出すことでもありました。

同時に、私自身が、手術をすることになって、残りの人生の質についても、改めて、考えました。

この違和感を持ったまま、残りの人生を、過ごしたくないという思いが、オーラソーマのお仕事をしたい、という思いに、繋がっていったのです。

でも、その頃はまだ、占星術師になるということは、全く思っていませんでした。

ただ、再び出会った占星術が楽しくて、18歳の頃に比べると、学ぶための本も沢山ある。

そんな環境に満足していました。

 

なぜ、42歳で、起業を、決心できたのですか?④~経費ってもらえるんじゃないの?

私の周りには、自営業の人が、いませんでした。

お金は、お給料でいただくものだと、思っていたのです。

なので、自営で、仕事をするということが、どういうことなのか、全く、分かっていませんでした。

たとえば、領収書は、まとめて、どこかに出すと、同額の、お金がもらえるくらいに思っていました。

今だったら、「どこの、誰が、くれるんかい!!」と、突っ込みたくなります。

でも、無知だったからこそ、安定した職をやめるという、決心ができたのかもしれません。

初めは、ナースのお仕事をしながら、お休みの日に、コンサルテーションをしていました。

いつも、誰かが、来てくれていたので、サロンを開いても、たくさんの人が、来てくれるという、勘違いが生まれました。

そして、何の経験もないのに、自営のお仕事が、うまくいくと、信じて疑わなかったのです。

もし、軌道に乗らなかったら、なんてことは、全く考えませんでした。

大学受験を、控えていた息子も、合格することが前提でした。

息子が、家を出ていくので、私だけのサロンができると、とっても楽観的に、考えていました。

もし、息子が、浪人することになったら・・・

もし、私大に入ることになったら・・・

そんな不安は、全く感じなかったのです。

息子は、無事に大学に進学し、私は、ナースをやめて、晴れて、サロンのオーナーになったのです。

サロンのオープン当時は、看護師時代に学んだアロマと、私に新しい決断をくれたオーラソーマのサロンでした。

ここに至っても、まだ占星術師になるというイメージは、持っていなかったのです。

 

起業してからのこと

起業してからのこと①~イメージしてた、お客さまの行列は、どこへ??

ナースをしながら、開業した私は、お休みの日は、いつも誰かが、コンサルに来てくれてました。

もともと、コンサルができる日は、月に4回程度です。

その上、友達が来てくれるわけですから、コンサルという、雑談も始まり、ランチに行って、あっという間に、1日が終わります。

それを、「いつもたくさん、お客さまが来てくれてる。」と、勘違いしてたんです。

今考えたら、あり得ません。

3月に退職して、4月は、ご褒美セミナーで、県外巡り。

5月に、本格スタートした時には、お客さまの行列が、できているという、イメージでした。

そんな、都合がいいストーリー、今の私が見たら、「もっと、現実見ろ!!」と、あきれながら、怒ってたでしょう(笑)

どんなに待ち続けても、お客さまは、1ヶ月に3名~5名さま程度。

本業にする!と、意気込みだけはあったものの、1ヶ月の収入は、2万円程度でした。

お客さまの行列という、幻想が敗れても、このお仕事をやめようとう迷いは、いっさい起こりませんでした。

 

起業してからのこと②~起業の夢が、結婚生活に変身

起業して、さぁ、仕事を始めるぞって思った時、お客さまは、いませんでした。

そんな時、4月に知り合った、今の夫が、経理のこととか、いろいろ教えてくれていました。

私も、初めてのひとり暮らしで、暇を持て余してたので、誘われれば、お食事に行ったりしてました。

そして、7月末に付き合い始め、1週間後には、結婚するという流れになり、11月には、一緒に暮らし始め、12月には、入籍しました。

ナースをやめたら、サロンを始める、と思っていた私ですが、人生で初めての、専業主婦になったのです。

毎日、好きなことして、1日を過ごす生活。

家事も、そんなに苦痛ではなく、専業主婦に向いているんだと、思ってました。

でも、ただ単に、物珍しかっただけだと、気づくのに、多くの時間は、必要ありませんでした。

この間も、一応サロンは、やめてはいませんでしたが、開店休業状態。

1ヶ月の売り上げ、2万円程度の記録は、続いていました。

主婦生活に飽きた頃、あの思いがやって来たのです。

私の人生、このままでいいの?

 

起業してからのこと③~再びやってきた、私の人生、このままでいいの?

主婦生活になった私、生活に不満はありませんでした。

けれど、何だか物足りない感じ。

そんな私に、転機がやってきたのは、結婚してから、約1年後でした。

退職してから、結婚するまでの間に、オーラソーマのレベル4という、論文を書き上げて、提出していました。

1回で、合格することは、ほとんどないという、この論文。

当然、1回めの提出では、不合格でした。

すごく、大変な思いをして書き上げた物だったので、しばらくは、ちょっとへこんで、書き直す気になりませんでした。

そのうち、結婚・引っ越しが重なり、パソコンに保存していた、論文のファイルが、消えていました。

かなりの量の文章を、打ち直す気にもならず、なかったことにしてました(笑)

そんな、私のものとに、届いたのは、1通の手紙。

論文の審査方法が変わるから、現在、書きなおし中の人は、2010年10月(だったかな・・・)までに、合格しないと、新しい、システムへ移行する、というもの。

ここで、「せっかく、書きあげたものが、無駄になるなんて、もったいない!」っていう思いに火が付き、論文の書き直しを、始めました。

論文を書くという決意は、本を読むことにも火をつけました。

占星術とオーラソーマについて、書こうと思っていた私は、占星術関連の本も、探しました。

10代の頃とは比べ物にならないくらい、日本語の本が沢山。

毎日、その本を読むことで、眠っていた占星術への思いが、動き始めました。

それと同時に、ホロスコープを見てほしいという友達や、友達の友達が増えました。

口コミで広がり、開店休業状態のサロンが、息を吹き返したように感じました。

また、適当に、日々のことを、書いていたブログは、200人程度の、読者さんしかいませんでした。

ブログタイトルも、天使のお散歩。

いったいなんのブログなのか、さっぱりわかりません。

ブログの、ノウハウを、学んだわけではありません。

でも、もっと、占星術やオーラソーマのことを、書いていこうという、思いは持ち始めました。

この時期、私にとっては、外に発信していきたいという、エネルギーが、高まる時期でした。

また、文章を書くことも司る水星が、大きな影響を受けていたので、この決断になることは、自然でした。

そして、論文に合格した後、さらなる扉が、開かれたのです。

 

起業してからのこと④~自分で作り上げる占星術講座

論文に合格した頃、よく来てくれていた、お客さまのひとりが、「オーラソーマを、えみーさんから学びたい!」って、言ってくれました。

その頃は、オーラソーマの先生になるなんて、考えてもいなかったので、当然、他の先生を進めました。

でも、「えみーさんが、先生になるまで待つ。」って、言ってくれたのです。

それがきっかけで、いろんなタイミングも良く、オーラソーマティーチャーになったのです。

それと同時に、占星術の講座も始めました。

テキストも、授業の雛型も何もない、占星術講座は、まさに自分が創りあげていくもの。

初めて占星術を学ぶ人に、何をどのように伝えることで、もっと興味を持ってもらえるのか、本当に日々、試行錯誤の繰り返しでした。

この授業を組み立てていくという作業は、看護師時代、看護教員養成講座で学んだことが、とても役に立ちました。

人生、無駄なことなんて何もないという実感を持ったのも、この時期かも。

ここから約3ヶ後に、月収30万円という壁を、超えることができました。

何のノウハウも知らなくても、お仕事にすると決めて、行動すれば、短期間で、本業といえるまでになるんです。

この間、どんなことをしていたのか・・・

集客のノウハウ、マーケティング、何も学んでいませんでした。

どうしたら、お客さまに、喜ばれるだろうと思って、やっていたことが、偶然にも、その、ノウハウに近いものがいくつもあったのです。

簡単なことだけど、コツコツと地道なことを、やり続けました。

魔法のように、あっという間に、うまく行ったなんてことはないんです。

そうして、2012年には、全国で占星術のセミナー・コンサルができるようになったのです。

では、何をコツコツやったのか・・・

 

起業してからのこと⑤~書くこと、伝えることが本当に楽しい!

起業してから、本業といえるまでに、コツコツ積み重ねてきたことは・・・

私は、書くということが好きです。

手紙のブログも、書くことが全く苦痛ではありませんでした。

なので、お客さまにメールをしたり、手紙を出したり、ブログを書き続けたりしました。

お返事もたくさんいただけるようになりました。

これらが、とても有効なことだと知ったのは、後で、お仕事のノウハウを学んだ時でした。

ノウハウでは、○日後、○日後にメールをすると、お客さまに喜ばれるという教え方でしたが、私がやっていたのは、違いました。

可愛い切手が出たから、手紙を書くとか、そろそろ、トランジットの天体が、○○さんに影響するなと思ったら、メールをするというものでした。

星の力を活用してほしい、占星術のコンサルを、受けた時の、高揚感だけで、終われせないでほしいという思いでした。

その結果、お客さまから、お返事のメールや手紙をもらうことも多く、この仕事にますますのやりがいを感じていました。

そして、占星術のコンサルの件数は、日を追うごとに増えていきました。

起業当初は、メニューにもしていなかったものです。

占星術師という、資格があるわけではありません。

なので、どのタイミングで、そうなったのか分かりませんが、私は、プロの占星術師と呼ばれるようになっていました。

その後は、さらに沢山の方のお役にたって、お仕事として発展させるため、今も学びの毎日です。

私のことについて、長々と書いてきましたが、お付き合いありがとうございました。

 

番外編~星のこと、占星術のこと、私の想い

星を見るのが好き・・・だけではなく、拠り所だった。

今住んでいるところは、駅の近くでコンビニもあります。

マンションの廊下には、外灯も。

だからなのか、空は低く感じ、星も美しくは見えません。

子供の頃は、抜けるような高い空に、大きく輝く星が、いつも見えていたんだけどな。

占星家の中には、ホロスコープより先に、星を見ることが好きだったっていう人も多い。

私もその一人。

星が好きだったっていうより、拠り所のような感じだった。

弟が赤ちゃんだったころ、身体が弱かった。

今にして思えば、熱性けいれんだったんだと思うけど、「ひきつけ」をよく起こしてた。

夜中にそうなると、母は弟をおぶって、病院に駆け込む。

私は、暗くて寒い部屋で、ひとり留守番をすることになる。

まだ、4歳になるかならないかの頃。

そんな時、家の前の道路から見える月や星が、唯一の灯りだった。

夜が明け、母が帰ってくる頃、ひときわ明るく見える星が、金星だってことも知らなかったけど、安心できる星のように感じてたかな。

希望の星みたいな感じ。

月や星の運行を学んだわけじゃないけど、月の大きさ(月相)によってどこに見えるかが違うってこと、体感してた。

真っ暗な世界にある、唯一の光。

だからこそ、星に対する信頼を持っているのかもしれない。

 

占星術コンサルで、私が大切にしていること

私は、メール鑑定は行ってない。

それは、ホロスコープの星の力を生かす方向性は、コンサルテーションという、対面での中で生み出されるものだと考えるから。

今とは違う未来を描き、方向性を見つけようとする時、私一人ではできない。

あなた自らの意志が必要だ。

何をすれば成功するのか? 

私が心を込めて打ち込めるものは何か?

それが知りたいといわれる方もいる。

でも、占星術は答えを持ってない。

あなたが自ら答えを出すための、ヒントや行動を起こしやすい時期を、知ることができるだけ。

例えば、あなたのホロスコープが、事務や経理に向いている傾向があるとして。

だけど、本当にやりたいことは別のこと。

そんな時どうする?

「やっぱり占いは当たらない」って、なってしまっては、本末転倒。

あなたがやりたいことのために、使える星の才能は何かを、一緒に探して行くことが、占星術の役割だと思ってる。

実際、話していくうちに、思いもしなかったことが口を突いて出たということや、話しながら本当に大切なものに、気づいたといわれる方は多い。

あなたはこんな質ですよっていう鑑定ではなく、あなたの人生に、星の才能をどう生かしていけるのかを、考えていきたい。

その場で、しっかりとホロスコープに向き合い、出てきた答えをメモすることの方が、大切なこと。

コンサルを機に、少しづつ選択が変わる。

ひとつひとつの選択は、小さなものでも、その積み重ねが、人生の質を変える。

私が、大好きな占星術をお仕事にして、自分が大好きっていえる人生を手にしているのも、40代の決断があったから。

自信なんてなかったし、うまくいく保証もなかった。

信じていたのは、星の才能と時期だけだった。

あなたにも、ぜひ星の才能を、生かしてほしいって思ってる。

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